真備町岡田字山ノ谷金剛寺にある白鳳期に始まる古代寺院跡です。南に向かって降る低い舌状台地上で、荒神社の小祀があり、ムクの木の巨木がある付近を中心に立地しています。
本来の位置を保つとみられる礎石4個が並び、いずれにも繰り出しの円柱座が認められます。付近はやや南北に細長い方形の高まりになっていて、寺院建物の基壇の痕跡を残しているかに見えますが、伽藍配置全体のことなどはあきらかになっていません。
古代寺院の年代は、寺跡出土の軒先瓦の文様から推定できますが、軒丸瓦の文様は、蓮華文の外縁に鋸歯文帯と珠文帯をめぐらしたものが、2~3種あり、その文様は、この地方に独特なものだとして、「吉備式」あるいは「備中式」の名でよばれています。蓮華文の花弁の数が8弁のものは、白鳳時代末、16弁のものは、奈良時代平城宮遷都後のころといわれています。軒平瓦の文様には、小断片ながら重孤文瓦があり、白鳳時代の年代が考えられ、均整唐草文瓦は、国分寺創建の8世紀中ごろからの年代が推定できます。