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福田貝塚ふくだかいづか

 縄文時代には、現在の倉敷市街地のほとんどは海でした。当時の人々は海岸に程近い山裾に住み、狩猟、漁労、採集により日々の糧を得て生活していました。
 住まいの近くには貝殻や動物の骨といった食べかすや、土器・石器などが捨てられた場所が残されます。私たちはこうした場所を貝塚と呼んでいます。
 倉敷市内には、縄文時代の貝塚が多く知られています。現在、福田町福田の古城池堤防西側に位置する福田貝塚もそのひとつです。
 これは縄文時代後期を中心とする貝塚であったことがわかっています。第二次大戦後間もなく行われた調査では、特異な文様を持つ土器や石器、土偶、埋葬された人骨など、当時の生活の様子をしのばせる豊富な資料が発掘されています。

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