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大原 孫三郎おおはら まごさぶろう

 明治13(1880)年、窪屋郡倉敷村(倉敷市)に生まれる。幼少期は習字と図画が上手だったが、奔放な面もあってあまり学問を好まない青年であった。ただ、社会事業や社会問題への関心は既に持ち合わせており、父・孝四郞が、子である自分の失敗を目の前で見事に拭ったことや、義兄の死、林源十郎(薬種商・社会事業家)・石井十次(社会事業家)などとの交流を通じて心機一転を果たす。
 明治31(1898)年の大原奨学会発足や、岡山孤児院への支援活動を経て、明治34(1901)年に同院の基本金管理者になったことなどが挙げられる。自身も倉敷基督教会で明治38(1905)年に洗礼を受けているが、檀那寺・観龍寺の位牌堂建設や茶室寄付、氏神・阿智神社の改築準備(実現せず)など神仏への敬虔さも兼ね備えていた。
 明治39(1906)年に倉敷紡績社長・倉敷銀行頭取に就任、飯場制度廃止や分散式寄宿舎の実現に取り組む。その他、大原奨農会・大原社会問題研究所・倉敷労働科学研究所の開設や新渓園寄付、倉敷商工会議所初代会頭、倉紡中央病院開院、伯備線倉敷経由、倉敷日曜講演会開催など、その活躍と功績は多方面に及んだ。昭和18(1943)年逝去。

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