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内山 完造うちやま かんぞう

 明治18(1885)年、後月郡吉井村(井原市芳井町吉井)に生まれる。明治30(1897)年、商店に丁稚奉公するために大阪へ出る。28歳のとき参天堂に入り、参天堂目薬の中国での広告と販売を任せられ、上海へ移住する。完造が、薬の売り込みのために中国や台湾に出歩いている留守の間、妻のみきが、日本から賛美歌や聖書を取り寄せて在留邦人に売ったところ好評となる。
 その後、完造も薬の販売のかたわら文学書、雑誌、専門書を仕入れるようになり、内山書店として店舗をかまえるようになった。書店は、本を買いにくる人だけでなく、お茶を飲みながら雑談をする人が多く集まるサロン的な場所であった。そこには、日本人、中国人関係なく集まり、魯迅や郭沫若などもこのサロンのメンバーであった。
  昭和20(1945)年、敗戦と同時に書店は、中国に接収され幕を閉じ、完造も日本へ強制送還させられる。帰国後は、中国と中国人を理解してもらうため全国をまわって講演活動し、日本と中国の友好関係回復を訴え続けた。また、昭和25(1950)年、日中友好協会ができると理事長に就任し、朝鮮戦争勃発以来、冷え切っていた中国との講和条約締結のために尽力した。

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