児島の塩田王・野崎武左衛門の孫、野崎武吉郎は明治23(1890)年から3期16年にわたって貴族院議員をつとめ、中央知名人としばしば交友を深めていました。この頃、味野には児島郡役所があり、人々が多く行き交っていました。中央知名人の迎賓館的施設として、また、往来する人々の接待や宿泊、集会の場として建造されたのが、この建物です。この建築事業には、日清戦争後の失業対策という意味も兼ねられていました。
主屋は入母屋造の式台玄関を構え、百畳敷の大広間を有する大規模で複雑な建築です。なまこ壁の土蔵は宴会用の備品類を収納した道具蔵で、居宅は屋敷地の維持管理人の住宅です。車寄と車夫詰所は当時の地方の交通事情の一端を伺い知る貴重な建物です。
敷地内にある2つの茶室は、野﨑武吉郎の還暦記念に建てられたもので、外葭葺きで田舎屋風に仕立てられています。