梅荘は、塩田王として有名な野崎武左衛門の孫である武吉郎が、日露戦勝記念として建てた別荘です。当初は野﨑家の海水浴用の休憩所として計画されました。本館を中心に北側に別館、西側に離れ、東側に女中部屋及び台所、北東側に蔵が配置されています。別館は明治初期頃の建物を移築したものと伝えられていますが、その他は明治40(1907)年にできたと考えられます。
京都から大工を呼び、煎茶に通じた文人画家であり築庭家であった久我小年が監督し2年余りをかけて完成したといわれています。庭に梅の木が多くあったことから「梅荘」と呼ばれました。現在は所有者が変わり、本館は飲食店として利用されています。
建築当時、文化人や地域の名士などを中心に煎茶の文化が発達していましたが、煎茶室をもつ本館や煎茶趣味の離れは近代における座敷の発達の特徴を示し、貴重なものとなっています。