神社の創建沿革については、詳しくわかってはいませんが、流行病を免れるため、村の氏神様として建てられ、
本殿は、三段に整地した社地の上段に石積基壇を設け、 西を正面にして建てられています。桁行1間、梁間1間の一間社流造、檜皮葺の白木の建物で、屋根には千木、鰹魚木と呼ばれる飾りを配し、妻部分など細部の様式は曽原にある清田八幡神社本殿によく似ています。
また、棟札によると元禄11(1698)年の改築とされていますが、この時期備前藩では、元禄10(1697)年の吉備津彦神社の改築をはじめ、神社行政への新たな取り組みを始めており、こうした流れを受けたものと考えられます。