大橋家は、江戸後期の倉敷において、塩田・新田開発によって財をなした大地主で、大原家と共に「新禄」と呼ばれる新興勢力となっていました。
住宅の屋敷構えは大原家とは大きく違っており、旧往来に面して長屋門を有し、主屋が通りに直接面しておらず、前庭が隔て門の奥側に配置されている点に特色があります。
建造物の特徴としては、旧大原家住宅同様、主屋は本瓦葺、厨子二階建てで、1階に倉敷格子、2階に倉敷窓を備え、米蔵・内蔵は土蔵造りで『なまこ壁』を備えており、非常に美しい姿を見せています。
往時の新禄層の屋敷構えをよく伝えており、倉敷町屋の典型を示すものとして主屋や長屋門・米蔵・内蔵の4棟が国の指定を受けています。平成3(1991)年~7(1995)年にかけて、3年4カ月を要した建物の全解体を含む保存修理工事が行われ、往時の輝きを取り戻しました。これによって附指定の「普請覚」のほか、棟札・墨書等の資料から寛政8(1796)年より寛政11(1799)年にかけて主要部分が建築され、その後、文化4(1807)年、嘉永4(1851)年の2度にわたって大改造が行われたことがわかっています。
そして、最も屋敷構えの整った嘉永4年の姿に復元されて一般に公開されており、格式の高さと地主の繁栄ぶりを伺い知ることができます。