有漢町茶堂、土居地区の境にあり、海抜265mの山頂部にある山城です。鎌倉時代の地頭秋庭氏の居館・正尺屋敷の南正面にあることから、本貫地を守衛する番手城とみられています。戦国時代には三村方の新山玄蕃允家住にいやまげんばのじょういえずみが居城し、その後肥田五兵衛ひだごへえが居城したといわれます。 頂上部の平坦面は三段になっており、最上部が主郭で約2m下って二の壇、更に1m下って三の壇が作られ、土塁、二重の堀切など堅固な備えがなされていた遺構がうかがえます。