寛政5(1793)年、備中松山藩主板倉勝政いたくらかつまさの時、神祇管領長占部朝臣良倶卿の宗源の神宣をもって八重籬の社号を贈られ板倉家始祖、板倉伊賀守勝重、板倉周防守重宗を祭神として御根小屋(現:岡山県立高梁高等学校)内の馬場に奉安していたが、文政13(1830)年に現在地に改築されました。神社の性格として、あくまでも板倉氏の神社であり氏子は板倉氏のみであり、藩主直営の祭りが行われてきました。
現在は旧藩関係者も戊辰の役後、新政府へ職をもとめ、旧城下にほとんど居なくなり、近くの内山下・川端町によって維持管理が行われています。