美袋は江戸時代、松山往来の宿場町として栄えました。松山往来とは、山陽道の板倉宿(現:岡山市北区吉備津字板倉)から分かれ、松山城下(現:高梁市内山下)に達する道です。この宿場で、諸大名などが宿泊した本陣は、大庄屋の田辺家でした。 明治元(1868)年には、官軍方の岡山藩が幕府方の松山藩を鎮定する際に、この美袋本陣で松山城の明け渡しについての会談がもたれました。明治維新後は、地方制度改革によって戸長こちょうと呼ばれる役人が執務した戸長役場となり、その後村の役場として使用されました。戦後、建物などは取り壊され、現在は岡山西農業協同組合昭和支店の事務所と店舗などが建っています。 今は、傍らにある標柱が当時を思い起こされるのみです。