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経山城跡きょうやまじょうあと

 吉備高原の南端に位置する、標高372.7mの山頂に築かれた山城です。平安時代、この一帯は山岳仏教の霊場として栄え、多数の経塚が築かれたことから、この城は経山城と呼ばれています。
 経山城は三方を険しい谷に囲まれており、城に入るには北からの一本道という攻めにくい地形となっています。小型ではありますが、石垣、土塁、空掘からぼりなどで区画した堅固なつくりになっています。
 『備中府志』によると、天文年間(1532年~1555年)に大内義隆おおうちよしたかによって築かれたとされています。後に毛利氏の所有となり、毛利氏配下の将であった小早川隆景がこれを修理し、二階堂氏・中島氏に城を守らせました。この城をめぐる攻防は大きく2回あり、1回目は天文12(1543)年のことで、出雲の富田城の合戦で手薄になった備中を取ろうと、播磨の赤松氏が攻めてきました。しかし、攻撃の準備中、将軍足利氏からほかの武将を追討するよう命令が下り、陣を引きあげました。次いで2回目は、元亀2(1571)年のことで、出雲の尼子氏によって経山城が包囲されました。しかし、小勢で城を守り、夜陰に乗じて火をかけ、尼子勢をしりぞけました。この城の堅固さを物語るものです。

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