こうもり塚古墳に次いで、6世紀の後半に造られた備中地域最後の前方後円墳です。横穴式石室内には、井原市産出の貝殻石灰岩で造られた石棺せっかんが安置されており、中から20代後半から30歳にかかる壮年男性と、30代後半から40歳近い壮年女性の2体の骨が発見されています。 その他、棺を留めたと考えられる鉄くぎも出土していることから、木の棺も使用されていたと思われます。 出土した土器からみても、6世紀後半から7世紀のはじめまで何度か埋葬が行なわれたようです。須恵器や土師器はじきなどの土器、ガラス玉、鉄の矢じり(鉄鏃)、刀などのほか、吉備の首長にふさわしい金を張った馬具や耳飾、鏡などが共に埋葬されていました。