飛鳥時代後半(白鳳時代)に建立された寺院です。昭和52(1977)年翌年にかけて発掘調査で、瓦積みの塔基壇が見つかりました。塔の心礎を支えた巨大な礎石も発見され、もとあった場所からは移動されていますが、整備された基壇の傍らに見ることができます。塔以外の建物は発見されていないため、寺域内の建物配置は不明です。 なお、出土した軒先を飾っていた丸瓦の中には、文様などから備後(広島県東部)の寺町廃寺と同じ型で作成されたものがあることもわかっており、両寺院の密接な関係がうかがえます。