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倉敷市

若竹の園保育園舎事務室棟ほか
わかたけのそのほいくえんしゃ

関連情報

指定等種別
国登録有形文化財
場所
倉敷市中央
時代
大正時代
指定年月日
平成21年4月28日
所有
財団法人若竹の園
見学
保育園のため見学不可

若竹の園保育園舎事務室棟ほかわかたけのそのほいくえんしゃ

 20世紀初頭、倉敷でも繊維産業が急速に発展し、女性労働者が増えるにつれて育児環境や子どもの発達への影響が悪化し始めます。このような社会問題を解決するために、倉敷さつき会が先頭に立ち、大原孫三郎や倉敷紡績からの援助も受けながら、大正14(1925)年に「若竹の園」保育園がつくられました。
 園舎の設計は、教育者・建築家・芸術家として著名な西村伊作が行いました。西村は設計にあたり、バンガロー様式を採用して、小さな棟を複数配置する図面を描きました。結果、森の中に立ち、庭に小川の流れる「おとぎの国」の夢のお城のような園舎になり、数回の増改築を経ても核となる当初の部分がよく残っています。
 西村は、与謝野鉄幹・晶子らとの交流を深める中で「文化学院」を創設し、文部省令に縛られない自由な教育を実践しました。倉敷文化協会に招かれて「文化生活の実行」と題する講演を行ったことがきっかけで、倉敷との縁が生まれます。そして、倉敷教会や祐安の洋館群も手がけることになりました。

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