一列に南面して並んだ社殿は、向かって左から第三・第一・第二殿、そして第四・第五・第六殿といいます。6棟からなる本殿のうち、第二殿が国の重要文化財、第一・三~六殿の5棟が県の重要文化財に指定されています。 熊野神社は、古くは熊野十二社権現と呼ばれ、社伝によると、大宝元年(701) に紀伊の熊野より勧請し、その後、応仁元(1467)年に兵火によって全焼したと伝えられています。
明応元 (1492)年に再建されましたが、第二殿は本殿のなかでは最も古く、6棟のうちほぼ中央に位置しています。
その後、明治になり神仏分離令によって「熊野神社」として祀られるようになりました。
建築様式は、正面一間、奥行二間の隅木入春日造で、正面に一間の向拝が取りつき、屋根は檜皮葺で、棟に千木と堅魚木をのせています。また、全体に彩色が施されており、柱・垂木・虹梁・破風などを丹塗りとし、木口に黄土を塗り、板壁や裏板はゴフン胡粉で白塗りされています。
比較的小さな本殿ですが、室町時代中期の建築様式をよく示しており、破風部分の曲面と二重に仕組まれた垂木配列や正面の吹寄格子が美しく調和しています。
また、県の重要文化財である5棟は、いずれも正保4 (1647)年に岡山藩主池田光政によって再建されたものと伝えられています。
第一殿は春日造、第三殿は入母屋造、第四~六殿は流造とし、屋根は全て檜皮葺で、彩色を施さず白木造となっています。第一殿は、第二殿と類似する姿や組物の形態をもっており、また、第六殿は熊野権現の鎮座する地を守る地主神を祀った特殊なもので、紀州熊野の本宮にも同様なものがみられます。