明治41(1908)年7月に建てられた洋風住宅。清澄家はもと新見藩士でしたが、明治37(1904)年、当主の若わか原はら丈たけ次つぐが夫人の郷里である早島町で眼科医を開業しました。のち、長女の万ま寿す子こが昭和4(1929)年に帰郷し、歯科医院を開きました。 建物の外壁は下見張りとし前面の景観は左右相称の洋風住宅です。内部の診療部分は純洋風としていますが、住居部分は和洋折衷です。 町内で残る唯一の明治の洋風建築として貴重な建物です。