飛鳥時代に創建された寺院の跡です。今では大部分が水田となっていますが、発掘調査の結果、金堂や塔の跡などが確認され、おおよその伽藍配置が明らかになりました。また、出土した瓦から7世紀後半に金堂、次に塔が建立されたと考えられます。建物の瓦溜まりに混じって出土した土器から、平安時代の11世紀に主要な建物が失われたことがうかがえます。
現在廃寺跡を訪れると、露出している巨大な礎石が目に付くが、これは塔の中央にある柱の礎石です。また、寺院であった頃の敷地の区画が、今でも水田の畦の形に反映されているのは興味深いものです。
主な出土品は、笠岡市立郷土館に展示されています。