持宝院は真言宗のお寺で、「走出のお薬師さん」として、古来より病気、特に眼病におかげがあるとして、広く信仰を集めてきました。この場所にはかつて延(または円)福寺と称する寺院がありました。その開基は古く平安時代と伝わっています。南北朝時代には「延福寺山合戦」の戦場となり、痛手を被ったものの、その後室町時代には再び栄えました。記録には、碇光坊(現在の明王院)など12坊の名が記されています。
しかし、延福寺は江戸時代初め頃には衰微したようです。そして寛文12(1672)年、後月郡上出部村(現・井原市)にあった持宝院が、寺を再興するにあたり、水害のある上出部の地から出て、山上にあり本尊がともに薬師如来で薬王寺と称する延福寺の跡へと移転してきました。こうして、延福寺跡は持宝院の境内となって今日に至っています。