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光助霊神宮こうじょれいじんぐう

 元禄12(1699)年に、東三成の丘陵地(下道氏墓)より、吉備真備の祖母を火葬にして埋葬した銅壺(銅製の骨臓器)ならびに遺骨が発見されました。それを受けて、享保12(1727)年、時の領主庭瀬藩主板倉昌信は、同家の祈願所の中蔵坊の境内に社殿を設け、この銅壺を安置しました。
 その後、享保13(1728)年には京都の吉田家から神号が与えられて、この社殿を「光助霊神宮こうじょれいじんぐう」と称するようになったものです。
 なお、享保15(1730)年・中蔵坊は、下道圀勝の名前にちなみ、圀勝寺と改称されました。現在の光助霊神宮は平成18年に建て替えられたものです。

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