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猿掛城跡さるかけじょうせき

 標高239mの本丸跡が南端にあり、北に向かって二の丸、三の丸、井戸、大手門、四の丸、馬場、五の丸、六の丸、大夫丸、寺丸と下って平林口に至ります。
 築城年代は庄家長が元久2(1205)年、源平合戦の軍功により地頭として赴任し、その後間もなく、山上に土塁を築いたのが始まりと考えられています。 庄氏が松山城(高梁)に本城を移した後、毛利元就の四男・毛利元清が領主として猿掛城に入城します。
 天正10(1582)年の備中高松城水攻の際には、この猿掛城が毛利輝元の本陣として名を歴史に残しました。翌天正11年には毛利元清は茶臼山城(東三成)に移ったため、約400年間続いたこの山城は実質上廃城となりました。

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