「盆」は、旧暦の7月13日~15日、新暦では8月13日~15日を中心に行われます。先祖の霊を家に迎え、供え物を供えて供養する行事です。一般的には、「盆入り」の13日に先祖の霊が家に迷わず迎えられるように迎え火をたき、「盆明け」の16日に霊を送るための送り火をたいていました。地域によっては精霊馬といわれるきゅうりで馬を、なすで牛をつくり、供えるところもあります。きゅうりでつくる馬は少しでも早く家に迎えたいとの意味があり、なすでつくる牛は帰る時はゆっくりと帰ってほしいとの願いがあるといわれています。
倉敷市の美観地区界隈では、餓鬼棚が作られていました。仏教では、悪行の報いで餓鬼道に落ちた亡者が「餓鬼」で、餓鬼仏とも呼ばれています。「盆」には、家の御先祖だけでなく、餓鬼や無縁の仏も訪れるとされ、まつり手のいないそれらを慰めるために餓鬼棚を設け、餓鬼飯が供えられます。新川町あたりの川沿いの家では、1尺(約30㎝)角の台に棒を付けたものを川端に飾り、供物を供えて餓鬼仏や無縁仏の霊を鎮めていました。ただ、近年では餓鬼棚を見かけることが少なくなっています。
矢掛町では、「盆」の8月13日にササゲを煮て仏前様に供えます。14日、15日は、先祖の位牌を仏壇から出して床の間に飾るなどします。里芋やハスの葉を床の間へ置いて餓鬼仏としてまつるところもありました。また、10日頃までに、庭先に「水棚」を作り、餓鬼仏を迎えるところもあります。「盆」までに「お寺さん」が来てお経を上げてくれます。14、15日には、庭先でひをたく万灯をして、16日には供えしたものを川に流していました。夜灯様やとうさま(石の灯篭)に集まり、迎え火、送り火をたいているところもあります。
「盆踊り」は、もともと「盆」の時期に死者の霊を供養するための慰撫とされていましたが、その後、娯楽的な舞踊として楽しまれるようになりました。備中地区では、高梁市の備中たかはし松山踊りや笠岡市の大島の傘踊り、白石踊りなどが盆踊りとして有名です。