備中神楽びっちゅうかぐら
「備中神楽」には、毎年、氏神の例大祭に奉納される「宮神楽」と、一般には7年ごとの産土荒神の式年祭で奉納される「荒神神楽(式年神楽)」があります。また、神楽の演目は神事色の強い「神事神楽」と演劇的で芸能色の強い「神代神楽」(神能ともいう)があります。
「宮神楽」は、神楽を始めるに当たっての清めの舞である「榊舞」と江戸中期に国学者の西林国橋(1764年~1828年)が神話に題材を求め編成した「神代神楽」を中心に演じられます。「神代神楽」とは、神話の世界を描いた「天の岩戸開き」、「国譲り」、「大蛇退治」など芸能色が強い、仮面を多用した神楽です。「天の岩戸開き」とは、天の岩戸に隠れてしまった天照大御神の機嫌を取り持つために、諸神が天の安河原に集まって一計を案じるという神話です。「国譲り」とは、葦原中津国の司、大国主の命が、その国土を天照大御神の勅令で降臨した勅使に献上するという出雲神話です。「大蛇退治」とは、素戔嗚の命が奇稲田姫を救うため、八保の大蛇を退治する神話です。
「荒神神楽」は、「宮神楽」の演目に加えて神事色の濃い素面で舞う「神事神楽」が演じられます。「神事神楽」とは、もともと、平均すると20~30戸で組織される集落単位でまつっている荒神を招魂や鎮魂し、五穀豊穣を祈るために行われていたもので派手さはありません。荒神とは、一般的には火の神、竈の神とされますが、備中地区では地神の親神的な神格を持ち、産土荒神とか臍緒臍緒荒神と呼ばれています。産土神(荒神)の信仰がこれほど濃厚に伝わるところは全国でも稀です。演目は、神事の基本的な型である、清めの儀式をはじめに行い、神楽奉納の儀を神前に述べます。そして、「白蓋」を揺らして神を迎えます。次に、悪霊払いである先祓いで力強く勇壮な「猿田彦の舞」を行います。続いて、荒神の由来や自然の摂理などの問答をする「五行神楽」を行います。次に、再度、悪霊払いである「剣舞」を行います。これらの演舞が終わった後に、「託宣神事」として、神懸った舞手が、吉凶月や五穀の豊凶、氏子の禍福などについての託宣をくだします。その他にも、開墾にちなんだであろう神事である「石割神事」や産子の繁栄の祈願や個人の祈願を受けての「願神楽」などが加わります。さらに神代神楽も加わるので夜を徹して行われます。荒神神楽は。主に田畑(神楽田)に仮設した神殿(舞台)で演じられます。神楽田は、共同開墾した耕地の記念であり、荒神を迎えるにもっともふさわしい場所とされています。
「備中神楽」には、吉備津彦命が温羅を退治する「吉備津」という他の神楽にはない演目(神能)があります。 昭和54年(1979年)、「宮神楽」・「荒神神楽」を合わせた備中神楽は、国の重要無形民俗文化財に指定されました。