僧侶・画家にして社会事業家。南画を学び、優れた花卉図や山水画を多数残した。本名は明導めいどうだが、白印または白導人はくどうじんとして知られる。 文久2(1862)年、笠岡の浄土真宗浄心寺住職の次男とし続きを読む
明治27(1894)年、浅口郡六条院村相部(浅口市鴨方町)に生まれる。俗称を伯海、大簡と号した。祖父の嘉平は、家塾を開き、『嶺南精舎』と称し、父の暦太は、村会議員、銀行支店長等を勤めた。伯海は、男子続きを読む
「鴨方に過ぎたるものが三つある。拙斎、索我、宮の石橋」と歌われ、いまなお土地の人々から慕われているのが、江戸時代中期の儒学者西山拙斎である。享保20(1735)年、備中国鴨方村(浅口市鴨方町)に医者続きを読む
文久元(1861)年、笠岡村(笠岡市笠岡西本町)に生まれる。本名は文蔵。慶應義塾、興譲館(井原市西江原)に学び、明治15(1882)年に上京。矢野龍渓の主宰する郵便報知新聞社に入社し、文筆家、新聞記続きを読む