楠戸家は、「はしまや」の屋号を持ち、明治2年の創業以来、今日も呉服店として営業が続けられています。主屋をはじめ米蔵・炭蔵・道具蔵・塀が平8(1996)年に登録文化財になっていますが、主屋のうち店舗部続きを読む
旧主屋に付属する座敷棟で、木造平屋建・本瓦葺きの建物です。天明年間(1781~1789)に建てられたと伝えられ、備後国神辺(現在の広島県福山市神辺町)出身の儒学者である菅茶山かんちゃざんによって「西続きを読む
児島の塩田王・野崎武左衛門のざきぶざえもんの孫、野の崎ざき武ぶ吉きち郎ろうは明治23(1890)年から3期16年にわたって貴族院議員をつとめ、中央知名人としばしば交友を深めていました。この頃、味野に続きを読む
梅荘は、塩田王として有名な野崎武左衛門のざきぶざえもんの孫である武ぶ吉きち郎ろうが、日露戦勝記念として建てた別荘です。当初は野﨑家の海水浴用の休憩所として計画されました。本館を中心に北側に別館、西側続きを読む
村山家住宅は、明治24(1891)年に高田氏(西高田)の邸宅として建築された、木造二階建ての洋風建物です。 西高田は幕末以来、塩業で財をなした高田三家のひとつで、明治中期には紡績所の創設や経営にも続きを読む
石井家は、江戸時代初期から山陽道矢掛宿の本陣職を務め、宝永5(1708)年以降、代々大庄屋を務めた旧家で、元禄頃から酒造業も営んでいました。 屋敷は旧山陽道に面し、間口約20間(36m)、敷地面積続きを読む
脇本陣髙草家は、文化12(1815)年に矢掛村庄屋となり、安政5(1858)年には大庄屋となった旧家で、「大おお髙たか草くさ」と呼ばれました。 屋敷は間口約18間(約33m)、敷地面積約530続きを読む
福武家住宅は安土桃山時代の大名・毛利氏の家臣・對馬つしま守かみ元もと重しげを祖とする旧家です。 代々庄屋職をつとめていましたが、天保7(1836)年に大庄屋となり、嘉永2(1849)年に庭瀬藩の徒か士続きを読む
福武家住宅は約1,400坪(約4,500㎡)の敷地面積をほこり、「主屋」、「長屋門」は江戸時代の大庄屋屋敷の構えをよく残しています。 主屋、長屋門など主要な建物の建築年代は不明ですが、屋敷構えの格式の続きを読む
定金家住宅主屋は、大正6(1911)年、金光教の門前町の一角に建ち、歯科医院兼住宅として使用されました。東を正面とした木造2階建ての洋館です。正面中央の玄関を中心に左右対称になっており、玄関のある中続きを読む