一列に南面して並んだ社殿は、向かって左から第三・第一・第二殿、そして第四・第五・第六殿といいます。6棟からなる本殿のうち、第二殿が国の重要文化財、第一・三~六殿の5棟が県の重要文化財に指定されています続きを読む
本荘八幡宮は、大宝元(701)年に建てられたと伝えられている古い神社で、水島灘を見渡す宮山の上にあります。 石鳥居は神社の境内に入る出入口として立てられるのが普通であり、この鳥居も元は三ノ鳥居とし続きを読む
由加神社本殿は、江戸時代、麓に門前町が栄えた由加山の一角に巨石を背にして立つ小建築です。神仏分離令までは由加大権現を祀った社殿でしたが、明治5(1872)年に由加神社となりました。 本殿は桁行三間続きを読む
甲弩神社の拝殿は、笠岡市内でも最古級の拝殿建築と考えられています。屋根の内部には、宝永7(1710)年に塩田長右衛門が棟梁として再建されたことが墨書されています。また、寛永14(1637)年から大正続きを読む
稲富稲荷神社は、村むら上かみ隆たか重しげが古城山に城を築いた時に、城内の鎮守としてまつったのが始まりといわれています。拝殿は鮮やかな朱塗りが印象的な建物で、内部の天井には見事な花鳥や動物の絵が描かれ続きを読む
菅原神社は、福山4代目藩主の水みず野の勝かつ種たねが、延宝2(1674)年に吉浜村の氏神として造ったと言われています。現在の本殿は、建築様式からすると18世紀中頃に再建された可能性があります。
寛政5(1793)年、備中松山藩主板倉勝政いたくらかつまさの時、神祇管領長占部朝臣良倶卿しんぎかんれいちょううらべあそんよしともきょうの宗源そうげんの神宣しんぎをもって八重籬の社号を贈られ板倉家始祖続きを読む
総社跡は、市名の由来となった備中国の「総社」のことです。律令制下、各国に中央から派遣された国司は行財政や司法・軍事などをつかさどるほか、国内の神社を管理し祀ることも重要な職務の一つでした。 国司は続きを読む
このイチョウは、目通り周囲約6.9m、根元周囲約7mの主樹を中心に、6本のわき芽があります。わき芽は、それぞれ根元周囲1~1.2m、目通り周囲1~1.95mで、樹齢500~600年と推定されています続きを読む
このイチョウは、市道(旧国道)沿いにある大木(雄)で、善江院ぜんこういん前のイチョウと夫婦だと古くから言い伝えられています。樹高約35m、根元周囲7.5m、目通り周囲6.0mです。