明治18(1885)年に小田郡甲弩村楠(笠岡市甲弩)で生まれた。北川小学校、旧制金光中学校で学び、卒業後は船舶業に就いた。大正6(1917)年、ロシア帝国で革命がおこり治安が悪化。米国赤十字社はウラジオストクに保護したロシアの子どもたちを、海路でヨーロッパまで運び親元に返す計画を立てた。この任務に各国の船舶会社が協力を拒む中、勝田汽船の勝田銀次郎社長だけが協力を申し出て、茅原基治を船長に任命した。
大正9(1920)年7月9日,茅原船長の乗る陽明丸はロシア人の子どもら960名を乗船させ,ウラジオストク港から出航。室蘭に寄港した後、太平洋を横断。サンフランシスコ,ニューヨークを経て,大西洋をも横断し、フランスのブレスト港に寄港。機雷の浮くバルト海を慎重に通過して、10月10日、フィンランドのコイビスト港に子どもたちを送り届けた。
この命がけの人道的支援は、その後長く忘れ去られていたが,救出されたロシア人の孫にあたるオルガ・モルキナさんの願いに応えた北室南苑さんが,茅原船長の故郷が笠岡市にあることを突き止めた。こうして平成23(2011)年にオルガ・モルキナさんによる茅原船長の墓参が実現した。
茅原船長の手記『赤色革命余話 露西亜小児団輸送記』が金光図書館(岡山県浅口市)に所蔵されており,子どもたちを救出した冒険の旅路と船長の暖かな人柄を知ることができる。