天保12(1841)年、両替商、回船問屋、酒類の販売などを営む豪商・堀家の四男として、賀陽郡八田部村(総社市総社)に生まれる。名は、堀和平安郷。
明治の始めごろ、家業を継ぎ、その後大阪に問屋を開いた。神戸に度々行き来するうち、油絵に接する機会を得たようである。それまで杏邨の名で水彩画を描いていたが、油絵に強くひかれ自宅裏の長屋門の2階をアトリエとして本格的に油絵を描き始めた。その頃、幼少で親戚筋にあたる満谷国四郎は、和平に大きな影響を受けたと思われる。
和平の初期の作品と考えられる「天神像」、また、代表作ともいえる「母子像」(倉敷市立美術館所蔵)などがある。