現在の建物は寛永9(1632)年に焼失した後、寛永14(1637)年に備中松山藩主
本殿は、流造の屋根に唐破風の向拝で、それを支える向拝柱は4本で三間社流造となっており、本殿と幣殿、拝殿とを一つの屋根で結んでいます。軒回りや妻は彫刻装飾で飾られており、本殿破風の切妻部はかぶら懸魚で飾られています。桃山時代の建築様式を取り入れた装飾性の強い寺社建築です。
拝殿は、入母屋造で、正面は流れ向拝となっており、唐破風向拝柱は4本で三間社となっています。軒回りや妻の部分には、
拝殿の天井裏には棟札が残されていました。寛永14(1637)年、備中松山藩主池田出雲守長常が拝殿を再建するにあたり、大施主として寄進したことを証明する棟札など、6枚の棟札が指定されています。穴門山神社の建物の修理歴などを知ることができる貴重な資料です。