日照山国分寺は、奈良時代に創建された備中国分寺の再建を目指した増鉄和尚により、江戸時代・享保きょうほう2(1717)年から19 年の歳月を費やして建立されたものです。 吉備路のシンボルともいうべき五重塔は、国分寺の再興からおよそ100 年後の文政4(1821)年ごろより、証しょう旭きょく和尚によって建立が図られました。工事が完了したのは、天保14(1843)年か弘化元(1844)年のことといわれています。県内唯一の五重塔で、初重から三重までがケヤキ材を、四重以上がマツ材を主に使用しています。