福武家住宅は約1,400坪(約4,500㎡)の敷地面積をほこり、「主屋」、「長屋門」は江戸時代の大庄屋屋敷の構えをよく残しています。 主屋、長屋門など主要な建物の建築年代は不明ですが、屋敷構えの格式の高さから、大庄屋になった江戸末期頃のものではないかと推測されています。 特に長屋門は小藩の門に匹敵する規模と意匠をもち、続く周囲の土塀には銃じゅう眼がんが設けられており、庭にわ瀬せ藩はん板いた倉くら家けの飛び地として矢掛地方支配の拠点施設だったとの意味も考えられます。