本堂は、永禄2(1559)年、呰部あざえ丸まる山やま城じょう主しゅの庄しょう兵ひょう部ぶ大だい輔ふ勝かつ資すけが本寺の荒廃を嘆いて再建したといわれています。さらに、慶長9(1604)年備中代官の小こ堀ぼり政まさ一かず(遠えん州しゅう[1579~1647])が寺領10石を寄進して保護しました。ただし、建築様式から見ると、再建年代は17世紀中頃と考えられます。本堂は、密教本堂の平面を保っており、桁行五間・梁間四間、入母屋造、茅葺です。