この旧居は、昭和の偉大な漢詩人阿藤伯海(1894~1965年)の生家です。阿藤伯海は、矢掛中学校・第一高等学校を経て東京帝国大学文学部哲学科に入学、詩人の
昭和16(1941)年には、母校の第一高等学校の教授になり漢文を担当しました。当時、藤門の書生といわれた8人の中には大学総長、芥川賞作家や日銀総裁等の面々がいました。
昭和19(1944)年、郷里鴨方に帰り、一時期岡山県教育委員に任ぜられた他は一切職に就かず、超俗孤高の生涯を詩に託しました。
吉備真備顕彰碑のために作った絶筆の大作「
この旧居には、幕末から明治期に建築された母屋を中心に、離れ、蔵、門などがあり、周辺には伯海が愛した野山等の自然が残っています。往時の庄屋造の建物と、偉大な漢詩人阿藤伯海の故居としての歴史空間を保護し、後世に伝えることには大きな意義があります。