早島町の歴史は、町の南部にある児島湾干拓の歴史でもあります。戦国時代後期の宇喜多堤の築堤にはじまり、昭和31(1956)年の児島湖締切り堤防の完成まで約400年に及ぶ干拓事業が行われ、国境論争や開墾反対運動など、さまざまなドラマを生みました。
この中で、興除新田の干拓に端を発した備前備中の国境論争は約100年にわたり争われ、文化14(1817)年にこの論争に裁許下され早島下前潟に国境標石が建てられました。これは、6丁(約700メートル)おきに建てられたという10本のうちの1本で、早島の干拓の歴史を物語る貴重な資料です。