新見藩初代藩主の関長治及び4代藩主の政辰の墓所は西来寺せいらいじにあります。 このお寺は、元禄11(1698)年に長治から下賜された現在地に良高りょうこう和尚おしょうが堂塔を建立し、関家の菩提寺としたことに始まります。 長治は元禄10年に新見藩初代藩主となり、新見へ入府後、御殿・家中屋敷などを整備し、現在の新見の基礎を築き、元文3(1738)年に亡くなりました。政辰は4歳にして4代藩主となりますが、安永3(1774)年にわずか18歳で亡くなりました。 墓所は、正面に基壇上に築かれた長治の墓標があり、その後方に政辰の墓標が建立され、それぞれに水盤と一対の石燈籠が設けられています。