鶴崎神社の「神幸祭しんこうさい」は、寛保元年(1741年)に始まりました。当時は、弁才天の丘上(御休所)へ神輿を担ぎ上げ、御旅所祭を執り行って還御かんぎょとなっていました。この御旅所は、厳島神社から続く巨岩で出来た小高い丘で、御旅所祭を行ったと思われる社殿の礎石が残っています。 明和2年(1765年)、塩津の龍神社が鎮座する龍神山(祇園山)に御旅所設置の検分が行われ、この年から龍神社への御神幸が始まりました。 寛文年間まで吉備津神社から奉幣使が参向し、その後、早島帯江戸川両旗本の代参があり、「神幸祭」は厳粛に執り行われました。 現在は、神幸ルートを大幅に拡大して、西田、高須賀、早高、弁才天、片田、塩津、前潟、船本を2基の神輿を中心に150名の供人や鬼などが巡行します。また、「神幸祭」に併せ各地で子ども神輿も巡行します。