松連寺は、弘仁3(812)年の開山で、最初は奥灘の地(奥万田)にありました。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、総督に任命された岡山城主宇喜多秀家は、出陣の時、松連寺の住職宥海法印と十一面観音像を座船に招いて従軍させ、祈願させました。帰国後、宇喜多は釜山浦での大勝利を賞し、観音堂を建立させました。その観音堂に座船の天井と扉を数枚用い、寺領百石などを寄進しました。松連寺は、のちの備中松山藩主水谷勝隆の命により、現在地に移りました。そのとき、観音堂の格天井の格間64枚(船天井)を本堂に移築しました。格間に金箔を押し、57枚は太閤桐が描かれており、精巧で豪華な桃山の遺風を感じさせます。
船戸は、長さ155㎝、幅77㎝、欅造りで客殿と観音堂の間の扉として使用されています。