本堂は、寄棟造、茅葺で、桁行三間、梁間三間の三間堂です。柱は大きく面を取った角柱に舟肘木を乗せるだけの簡素な中世風の外観です。青龍寺は、真言宗醍醐派の古刹です。大同年間(806~810)、唐から帰朝した空海が諸国巡錫の折り、この地に足を留め、その山容と風光がかつて修業した長安の黒髪山東塔青龍寺に似ているとして、伽藍を建立し、真言密教の霊場としたのが本寺と伝えられています。その後、天正3(1575)年、毛利と三村の争乱で焼失し、万治年間(1658~1660)、備中松山藩3代藩主の水谷勝隆(1597~1664)が旧のままに復元したのが現在の堂です。