本堂の創建年代は定かではありませんが、飛ひ騨だ工こう匠しょう作さくと伝えられています。寛文3(1663)年、備中松山藩4代藩主の水谷みずのや勝かつ宗むね(1623~1689)が三さん間けん四よん面めんの堂どう宇うとして再建したとされています。