本門は、備中松山藩4代藩主の水谷みずのや勝かつ宗むねの弟勝かつ能よしが寛文4(1664)年に刑部2000石の知行に当たり、その時設けた小お阪さか部べ陣じん屋やの門です。明治時代の廃藩置県に際し、水谷家代々の菩提寺である本寺に移して、山門に替えたものです。またこの門は刑部大明神を天守閣に祀る姫路城城門と同形式です。