本標は、高さ170cm、幅23cm、厚さ20cmで、頂部が各推形をした石造角柱で、江戸時代に作られ、国境標として高い価値を持っています。 新見市側の標石には、正面に「従是東 備中国」、背面に「哲多続きを読む
新見藩初代藩主の関長治及び4代藩主の政辰の墓所は西来寺せいらいじにあります。 このお寺は、元禄11(1698)年に長治から下賜された現在地に良高りょうこう和尚おしょうが堂塔を建立し、関家の菩提寺と続きを読む
新見市と広島県庄原市との境、旧街道に接するところに御ご番ばん所しょがあり、国境を示すものとして建てられました。すぐ側の国境標と同様に、江戸時代に作られたもので、高い価値を持っています。 建てられた続きを読む
ゆずりは城の築城者・築城時期については、資料がないため判然としていませんが、新見氏が築城者と伝えられています。 永禄年間(1558~1570)頃、三村氏に攻められて新見氏は敗走し、三村元範が城主と続きを読む
赤羽根イナリ古墳は落合町阿部にあり、平成14(2002)年に宅地造成中に発見され、直径14mほどの円墳と確認されました。発掘調査によって、この墳丘の裾部を巡るように石列を検出しており、葺石と考えられ続きを読む
笠神は、昭和43(1968)年に完成した新成羽川ダムに水没したが、田原の上流約3㎞に位置します。川の中の大岩に文字を刻んだものが文字岩です。鎌倉時代の徳治2(1307)年に、日本でも無類の難所であっ続きを読む
有漢町信清のぶきよにある祥雲寺しょううんじの山門前の石段脇に建っています。戒壇石ともいわれます。高さ128㎝、幅25㎝、厚さ21㎝の石柱で、正面に大きく「不許葷洒入山門くんしゅさんもんにいるをゆるさ続きを読む
町内に在住していた与兵衛は、孝子の聞こえが高く、天明8(1788)年4代領主水谷みずのや兵庫ひょうご勝政かつまさが幕府に上申して表彰され、「孝義録」に記載されました。 文化3(1806)年10月2続きを読む
有漢町畦地の明地みょうちにある有漢荘の北側にある円墳です。古墳時代後期のもので、南西に開口する片袖式の横穴式石室をもちます。円墳の直径18m、高さ3mで、石室の残存長9.5m、玄室長6.6m、幅1.7続きを読む
有漢町茶堂、土居地区の境にあり、海抜265mの山頂部にある山城です。鎌倉時代の地頭秋庭氏の居館・正尺屋敷の南正面にあることから、本貫地を守衛する番手城とみられています。戦国時代には三村方の新山玄蕃允続きを読む