本殿は、平入、三間社で入母屋造、檜皮葺です。入母屋造、檜皮葺で向拝のない屋根形態は神社の本殿としては全国的に少なく古い形態とされています。また基壇を作らず、石敷とした床下の工法は古式のものです。
本門は、神社を守護する門かど守もり神がみを安置している神門で、文化5(1808)年に建立されました。その後、明治26(1893)年9月27日に再建され、入母屋造の枡形天井となっています。
本門は、備中松山藩4代藩主の水谷みずのや勝かつ宗むねの弟勝かつ能よしが寛文4(1664)年に刑部2000石の知行に当たり、その時設けた小お阪さか部べ陣じん屋やの門です。明治時代の廃藩置県に際し、水谷続きを読む
本殿は、大同3(808)年に造営され、江戸時代末期に再建されたものです。社殿は本殿・拝殿の二棟で、本殿は三さん方ぽう千ち鳥どり破は風はふ造づくりで、蟇股内に十二支を彫刻し、色鮮やかな鶴を配しています続きを読む
本門は、その名の通り木造仁王像一対が安置されている楼門です。その仁王像には元禄14(1701)年の銘があり、本門も同様の時期に建立された可能性があります。伝でん医い山さん四し王おう寺じは、弘仁9(8続きを読む
本堂は、寄棟造、茅葺で、桁行三間、梁間三間の三間堂です。柱は大きく面を取った角柱に舟肘木を乗せるだけの簡素な中世風の外観です。青龍寺しょうりゅうじは、真しん言ごん宗しゅう醍だい醐ご派はの古刹です。大続きを読む
本堂の創建年代は定かではありませんが、飛ひ騨だ工こう匠しょう作さくと伝えられています。寛文3(1663)年、備中松山藩4代藩主の水谷みずのや勝かつ宗むね(1623~1689)が三さん間けん四よん面め続きを読む
本堂は、永禄2(1559)年、呰部あざえ丸まる山やま城じょう主しゅの庄しょう兵ひょう部ぶ大だい輔ふ勝かつ資すけが本寺の荒廃を嘆いて再建したといわれています。さらに、慶長9(1604)年備中代官の小こ続きを読む
本堂は、曹洞宗観音寺の末寺として文久4(1864)年に建立したもので、二間四面の建物です。本尊の石造薬師如来座像は、文久3(1863)年に安置されたもので、像の背面に「目のかすみやがて晴行位□山これ続きを読む